リンチから死刑へ
米国南部で起きた置き換わり
米国南部では、19世紀後半から20世紀前半にかけて、裁判を経ない私的な処刑——リンチが横行しました。それは20世紀のうちに姿を消します。ただし、減った理由は「人々が反対するようになったから」ではありませんでした。研究が示しているのは、もっと居心地の悪い経過です。
まず、規模
米国の法律支援団体 Equal Justice Initiative(EJI)は、南北戦争後の再建期から第二次世界大戦までの期間に、南部12州で4,000件を超える人種テロとしてのリンチを記録しています。南部全体では、この期間に殺された黒人の男性・女性・子どもは4,400人以上とされます。
これらは、裁判も判決も経ていません。群衆が集まり、その場で殺す。犯人が訴追されることはほとんどありませんでした。
1915年に、数字が入れ替わった
そして、この入れ替わりは偶然ではないとされています。1920年代までに、リンチは「評判が悪い」という理由で避けられるようになりました。北部からの批判、報道、外国からの視線。そこで南部の州が採ったのが、迅速な裁判を経て死刑にするという方法でした。
つまり、群衆がその場で殺すかわりに、法廷が同じ結果を出すようになった。EJIはこれを、リンチが「社会統制の手段として衰退し、州が死刑という戦略に移行した」と表現しています。
数字に残っている痕跡
この移行が実際に起きたことは、その後の統計に痕跡を残しています。
- 1950年、南部の人口に占める黒人の割合は22%まで下がっていました。にもかかわらず、南部で執行された人の75%が黒人でした。
- 現在も、米国の死刑囚のうち黒人が占める割合は42%、1976年以降に執行された人のうち黒人は34%です。黒人が米国の人口に占める割合は13%です。
地理も重なっている
もうひとつ、EJIとDeath Penalty Information Center が指摘しているのが場所の一致です。
過去50年間の執行数で、オクラホマ州は全米2位、ミズーリ州は5位です。この2州は深南部の外にありますが、リンチの記録が多く残っている地域でもありました。「リンチが多かった地域では、いまも死刑が多い」という対応関係が観察されています。
もちろん、相関は因果を意味しません。ただ、複数の研究がこの重なりを指摘してきました。
なぜこの話が、いまの死刑と関係するのか
この歴史が重要なのは、米国の死刑と人種で見た統計と、きれいにつながるからです。
そちらのページで見たとおり、現在の米国の死刑では、被害者が白人だった事件のほうが死刑になりやすいという傾向が続いています。「黒人が殺されたときに、その死が軽く扱われる」という構図です。
リンチの時代、黒人が白人を殺したとされる事件は群衆によって即座に処理され、逆はほとんど問題にされませんでした。誰の死が重大とみなされるかという重みづけが、そのまま形を変えて残っている——研究者が指摘してきたのは、この連続性です。
日本の読者にとって
この話は米国固有のものに見えますが、示している構造は普遍的です。死刑という制度は、その社会が「誰の命を重く見るか」をそのまま映す。制度の設計がどれだけ公平でも、運用する人間の判断が積み重なれば、社会の偏りは結果に現れます。
日本で死刑が確定したあとに無罪になった4件でも、共通していたのは制度そのものの欠陥というより、取り調べ・鑑定・証拠開示という運用の一つひとつでした。問題の現れ方は違っても、見るべき場所は同じです。
出典
- Death Penalty(Equal Justice Initiative)
- Lynchings in America Related to Racial Bias in Death Penalty(Death Penalty Information Center)
- EJI Report on Lynchings Outside the Deep South Suggests Links to Capital Punishment(同)
- U.S. Death Penalty is Rooted in Lynching Past(Innocence Project)
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